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ー記者マツモト、槍を投げる! ~10本インタビュー 第11章~

ヤリナゲインタビュー

(劇)ヤリナゲ インタビュー

ー記者マツモト、槍を投げる! ~10本インタビュー 第11章~

10本インタビュー第11章は、荻原永璃氏(アムリタ主宰)です。

荻原永璃氏(アムリタ主宰)プロフィール

荻原 永璃(おぎはらえいり) 1989年生まれ千葉県出身、琉系二世。演出、劇作。アムリタ(主に演劇をする)主宰。 千葉県立東葛飾高等学校演劇部、早稲田大学劇団森を経て、2012年、主に演劇をする時間や場所、機会、あつまりとしてアムリタを旗揚げ。 2014年、利賀演劇人コンクールで『楽屋』を演出し奨励賞受賞。 2015年、奈良・町家の芸術祭はならぁと2015参加。 アムリタWeb http://amritasystem.tumblr.com/

(取材当時岐阜に滞在中とのことで、メールでのインタビューをさせて頂きました。)

―――

(一通目 松本から荻原さんへ)

荻原永璃様

こんにちは。

ヤリナゲの記者の松本一歩(まつもとかずほ)と申します。

越さんとは時間堂の現場で彼は演出助手として、私は制作助手として一緒だったことがあり、なんだかそんなご縁で今回記者を務めさせていただくことになりました。

岐阜でお忙しいところ突然のお願いとなり、大変恐縮です。

(実家が愛知と岐阜の県境なので岐阜と聞くと親近感が湧きます。)

越さんからは「高校の先輩であり、結構初期の方からヤリナゲの作品も観てくれている」と伺いました。

このメールインタビューではそんな荻原さんに

・荻原さんが過去にご覧になったヤリナゲ作品について

・俳優としての越寛生

・高校の後輩としての越寛生

・ヤリナゲ作品の印象

といったところを中心にお話を伺えればと思います。

この一通目では、

・荻原さんの自己紹介と、越さんとの間柄

・過去にご覧になったヤリナゲ作品についての感想

を、お聞かせ願えればと思います。

よろしくお願いいたします。

―――

(一通目のお返事 荻原さんから松本へ)

松本様

荻原です。

がんばってお話しできればと思います。

よろしくお願いします。

さて、以下内容本題です。

自己紹介、越寛生との間柄

荻原永璃(おぎはらえいり)と言います。本名です。アムリタという団体(主に演劇をします)を主宰しています。演出家です。脚本を書くときもあります。

越とは、だいたい10年ぐらい前に知り合いました。東葛高校(千葉県立東葛飾高等学校)の、演劇部の一個下の後輩です。文化祭で共演したり、秋の大会では私が演出で、彼が出演者でした。

文化祭では、成井豊『サンタクロースが歌ってくれた』、秋大では高橋いさを『けれどスクリーンいっぱいの星』をやったんですけど、アムリタともヤリナゲとも全然違う作風なので、知ってる人はびっくりされるかもしれません(東葛高校は創作脚本ではなく、既成戯曲を上演する演劇部でした)。

二年の秋には引退だったので、一緒にやっていたのは実質半年ぐらいでしょうか。

卒業後は別々の大学でしたが、どちらもサークルに所属して演劇を続けていたので、お互いの芝居を見に行ったりの交流があり、2010年に出演依頼をしたのが今に続いている感じがあります。

ゲリラ野外演劇の突発企画をやることになり、「いい役者はいないか」と言われて、その場で電話をかけたのが越でした。とにかく越君はおもしろいし上手かった。なるべく色んな人に見てほしかったし、演劇を続けてほしかった。それでことあるごとに声をかけ続け、自分が主催するワークショップや企画公演に出てもらっていました。

アムリタには2012年の旗揚げ公演から第三回まで出演、去年の第八回公演が久しぶりの参加でした(最近はヤリナゲの公演があるので、なかなか出演もお願いできず)。

アムリタの構成員に藤原未歩という女優がいるんですが(彼女も同じく高校演劇部の後輩で、越の同級生)、この二人が一緒にいるとめったやたらにおもしろくて、それを見ているのがとっても好きです。二人ともとてもいい演劇をつくります。

過去にみたヤリナゲ作品について

ヤリナゲの作品は1回公演『八木さん、ドーナッツをください。』(2012年1月11日-12日 於 国際基督教大学ディッフェンドルファー記念館  西棟多目的ホール)、第5回公演『スーサイド・イズ・ペインレス』(2015年3月25日-29日 於 王子小劇場)以外は全部見てます。

このふたつは彼の自伝的な作品らしいんですが、そういうのに限って見ていないみたいで。いろいろ話は聞くのでとっても気になっています。

内容について言おうとすると、とにかく越君は変態だとばかり出てきてしまったので(箇条書きでメモを書き起こそうとしたんですが)、ちょっと別の方面から話します。

ヤリナゲを観ていて、よかったなと思う俳優。各公演を思いだそうとしたときにぱっとでてきた役者さんたちから。

・第3回公演『緑茶すずしい太郎の冒険』(2014年3月21日-23日 於 荻窪小劇場)の時の峰松君(峰松智弘 H-TOA代表)。好感度がとても高い。思わずにこにこして、彼の幸せを願ってしまう。

(『緑茶』舞台写真より 左から峰松智弘さん、西村寛子さん(ウーロン茶熱い花子役))

・第4回公演『非在』(2014年6月3日-4日 於 王子小劇場)の中野氏(中野雄斗((石榴の花が咲いてる。)))は、見た目のインパクト。無言なのに雄弁。

(『非在』舞台写真より 撮影:のあのえる 左から中村あさきさん 中野雄斗さん)

・第6回公演 『2 0 6』(2015年8月12日-16日 於 王子小劇場)の國吉さん(國吉咲貴(くによし組))はひたすらにキュートでした。

・第7回公演『緑茶すずしい太郎の冒険』(再演)(2016年3月24日-28日 於 王子小劇場)の三澤さん(三澤さき ゲンパビ)の、あのさらけだしかたは引き込まれざるを得なかったです。

(『緑茶すずしい太郎の冒険』(再演)舞台写真より 撮影:村田麻由美 三澤さきさん)

他にも、個人的に好きなのは『緑茶』(初演)と『翳りの森』に出演されていたマツバラさん(マツバラ元洋)です。理詰めであることの正しさと暴力性、生きづらさがあるように見える。

(『翳りの森』舞台写真より 撮影:田中星男 マツバラ元洋さん)

かわいらしさとひっかかり

たぶん、先に挙げた四人に共通しているのはかわいらしさ、いじらしさみたいなもので、さらにマツバラさんに代表するような問題意識やひっかかり、ヤリナゲはこの二つの要素が組み合わさっているのかなと思います。

納得いかない・割り切れない・むずかしい問題に取り組む一方、軽やかで笑っちゃう情けなさや愛おしさがある。

このあたりを一手に引き受けていたのが、元メンバーの中村あさきさんだったのかもしれません。暴力にさらされること、みっともなさをさらけ出すこと、なによりも魅力的であること。

ヤリナゲの作品の中で単純に好きなシーンは、『緑茶』(初演)の怪しいセミナーのシーン。越と藤原の二人が、ありそうなうさんくささを存分に発揮していて笑っちゃいます。

そのまんま過ぎることの、無防備さ、暴力性

ヤリナゲの作品にはけっこう何でもそのまま出てくるのが時々こわいところですね。

たとえば、越はハイバイが好きとのことなんですが、『緑茶』のカラオケのシーンなんかはハイバイの『て』という作品のワンシーンにそっくりだし、そういう彼の好きなものとか、あと彼の身の回りに起きたこととかが、そのまま出てくるんです。

ちょっとしたことだけれど、第9回公演『モニカの話』(2017年1月18日-1月22日 於 STスポット)には直前のアムリタの稽古場でされた会話やエピソードがいくつか出てきています。

これは全然無害な例なんですが、場合によっては、そのまんますぎることの、無防備さ、あるいは暴力性、そういったものを過剰に感じることがあります。

たぶん、そこが魅力の一つでもあるんでしょうけど。

作、演出としての越の作品で一番好きなのは、ヤリナゲ旗揚げ前の作品です。黄河砂の、VS 恋愛という企画だったかで、中村あさきさんとの二人芝居でした。

いちばん純情で変態で切なくて、それがとっても簡潔にまとまっていた。構成もよかったと思います。

なんだかとっても冗長になってしまった気がします。

今、岐阜では下呂に住み込みで働きつつ、九月に行う美濃加茂市での公演のリサーチをしています。仕事先、愛知県各所から訪れる方も多くいらっしゃいます。なんだかおもしろいものですね。

荻原永璃

―――

(二通目 松本から荻原さんへ)

荻原様

お世話になっております。

ヤリナゲ記者の松本です。

お返事ありがとうございました。

これまでいろんな方にインタビューをさせて頂くにつけ、ヤリナゲというか越君の周りにはおもしろい方がたくさんいるんだなあとしみじみとしております。

演出の先輩や元・劇団員の方、あるいは批評家やスタッフの方や俳優、高校の先輩といった様々な立場の方からお話を伺うたびに毎回新しい越さんの側面が明らかになる一方で、

皆さん言葉は違えど越君の作品の本質みたいなところに言及されたりしていて、そういうのを聞くととてもおもしろいなあと思います。

さてこの二通目では、

・俳優としての越寛生

という部分について主に伺えればと思います。

先のメールで、出演依頼をされたときに「とにかく越君はおもしろいし上手かった。なるべく色んな人に見てほしかったし、演劇を続けてほしかった。」と思われていたとのことですが、演出家としての荻原さんからご覧になって、俳優としての越さんの魅力はどんなところにあると思われますか?

また、先のメールから推察するに越君を語るときに外せないのが「変態」というキーワードなのかなと思うのですが、

「作、演出としての越の作品で一番好きなのは、ヤリナゲ旗揚げ前の作品です。黄河砂の、VS 恋愛という企画だったかで、中村あさきさんとの二人芝居でした。

いちばん純情で変態で切なくて、それがとっても簡潔にまとまっていた。構成もよかったと思います。」

↑こちらの作品か、あるいは他の作品でもいいのですが、越さんの「変態」という部分について、より詳しく教えて頂くことは出来ますでしょうか。

何卒よろしくお願いいたします。

松本一歩

―――

(二通目のお返事 荻原さんから松本へ)

松本様

お世話になっております。アムリタの荻原です。

今まで投げられた槍、いずれも楽しく拝読しております。どのインタビューもたいへんおもしろいんですが、同時に自分のいい加減さが浮き彫りになるような気もします。アムリタの人たちは全体的に越に対してはかなりざっくばらんに接しているのかもしれません。

さて本題です。

■俳優としての越寛生について

越は私にとって最も魅力的な俳優の一人だと思っています。だからこそずっと誘い続けているんですけれども。

前回「とにかくおもしろいし上手かった、色んな人に見てほしかったし演劇を続けてほしかった」と書いたあたりをもう少し詳しくひらいてみますね。

おもしろい、というのは、彼のことを知っている人にはあまり説明しないでいい気もします。立ち居振る舞いからしてわかりやすいので。高校一年生の時はもっと、言ってしまえば奇矯だったと思います。新歓公演後に簡単なバックステージツアーをやったんですけど、彼は説明を聞いている間ずっと楽しそうに?飛び跳ねていました。あんまり不思議だったんで覚えています。その上で、演技をはじめると、ものすごく普通の人の振る舞いが出来る。ふつうすぎるぐらいに。そのギャップと、判断基準の持ち方が興味深いと思っています。だいたいの人と逆なんですね。

如才ない振る舞いと、愛嬌

上手いというのは、その如才ない振る舞いが出来るところ。その場その場でなにが効果的か考えてアプローチできるというのは大切な能力の一つですが、彼はそれが上手い。表面的な一つの方法に縛られず、より効果的なほうへ向かって何手も繰り出せる。彼の上手さはその頭の良さにあると思いますが、同時に愛嬌も持ち合わせている。それも魅力の一つです。

役者としての越の魅力を話そうとすると、どうしても藤原が出てきます。藤原未歩というのは、越のペアというか、タッグというか、お互いがお互いの別バージョンみたいな存在でもあると私は思っていて、この二人のよいところと言うのはかなり共通のものなんですね。大体何でも如才なくできるところ、それでいて変なところでつまづくところ、とっても繊細なところ、かわいらしさ、冷徹さ、負けず嫌いなところ、言葉にするのが不器用なところなんかが似ています。二人とも子供みたいなところがあって、楽しいときと不機嫌なときがはっきりしてる。越の方がもっと論理的で、藤原の方がパワフルで外面がいいのかな。どちらもとってもパフォーマンスが上手いし人をひきつける存在です。この二人が真剣勝負をしているときは、本当にいいものをみたと思える。

アムリタの旗揚げ前にプロトタイプ的な演劇をつくったんですが、それがこの二人の二人芝居。「WS恋について」という、台本3ページ(全員違う台本)、上演時間1時間、毎回内容が変わる、変則的な作品でした。大筋は、藤原と越が、恋とは何か、人工的に発生させられるか試行錯誤するというもの。自分がつくったものの中ではかなり気に入っています。二人のベストアクトの一つだと思います。音響のしおんくんが一日で三回みたので、聞いてみるとわかるかもしれません。

色んな人に見てほしかった、続けてほしかったというのは、その当時の環境も大きいです。学生時代のはじめのほう、越のサークルでの芝居を何度か観に行ったとき、わたしにはあまりおもしろくなくて(技術的にも、嗜好的にも)、かつ、越もなんだか楽しそうに見えなかったんですね。これは勝手な主観ですが、やりきっていないというか、もてあましているというか、そういう風に見えました。とってももったいないし、このままだとやめてしまうのではないかなとも心配でした。これは大きな損失です。それで、こっちにひっぱれないかなあとたびたび思っていました。

こっちというのは、その当時だと早稲田演劇と言われるあたりになるかと思います。そのころ私は早稲田の劇団森に入っていて、ここはまあとにかく自由で、早稲田演劇自体ある程度様々な団体があり、小さなマーケットにもなっていて、見る人もやる人も、価値観もいろいろあったんですね。私がやっていたことは主流ではなかったけど、それでもいろいろ出来た(件の野外劇だとかですね)。ここなら越が演劇を面白がれるような色んな機会が出来るかもしれないというのもありました。それに、こんなにおもしろいやつを埋めておくなんてとてもできませんでした。私自身、早稲田演劇自体にもちょっと鬱屈していたところがありましたし。

結果的に今、彼がこんな風に演劇を続け、活躍しているのはとっても嬉しいことです。とはいえ、私はもっと俳優としての越をみたいので、そこは少し寂しいところもあります。長く続けていればまた機会も巡ってくるでしょうから、今はその時を楽しみに、私も演出家としてもっともっと成長しておかなければと思っています。なにしろヤリナゲがこんなに上り調子なので、アムリタとしても負けてられません。老年の越を演出できるようでありたいですね。

■「変態」というキーワードについて

これは自分で書いていても身も蓋もないしあんまりな言いようだとは思ったんですが、むしろ今までのインタビューで誰も指摘しなかったのかとも同時に思います。変とは結構みなさん言われてるみたいですけど、変態とまでは出ていないのかな。

女性を困らせて、その姿を見て、かわいいと喜んでいる感じ。

今までみている限りですが、ヤリナゲには(主に男性によって)困っている・ひどい目に遭っている・みっともない状態におかれている女の子(女性と言うより、女の子とあえて書かせていただきます)が多い気がするんですね。そしてそれを嬉々として出している感覚、これを指して変態と書いたのかなと思います。女性を困らせて、その姿を見て、かわいいと喜んでいる感じ。穿ち過ぎだったら申し訳ないんですけど。たとえば『ミドリちゃん』なんかもそうだし、『緑茶』におけるウーロン茶熱い花子の振る舞い、『206』の國吉さん、それから大体の作品におけるあさきさん、他、あげきれないです。

ヤリナゲをみると、大体、ああ今回もあさきさんがひどい目に遭っているなあと思うことが多かったのを思い出します。

もちろん物語において、登場人物が困難にぶつかり何らかのアクションを起こすというのはありふれたことです。ヤリナゲ作品には困っている男性もたくさん出てきますけど、それは自分の人生や社会に関わる問題に直面しているキャラクタが多いように思います。人間として生きる上での困難。恋愛ももちろん人生の一部ではありますが。女性だと、ヒヨコの神様に脚本提供をした『スーサイド・イズ・リアリー・ペインレス』、15minutes madeの『イングリッシュ・スクール』での英語教師の女性ぐらいかな。他にもいるとは思いたいんですけど、すぐ出てくるのはそれぐらい。そのキャラクタもかつて英語教師だった越自身の投影としてだと思うと何か引っかかるところがあります。

ひどい目に遭っている、みっともない姿の女性を愛玩すること、あるいはひどい目に遭っていてなお、そんな目に遭わせた存在(男性、あるいは脚本・演出)を許してくれるという構造をつくること、そういった目線や手つきに対するひっかかりを変態という言葉に込めていたのかなと思います。わたしたちは概ね冗談混じりにこの言葉を使いますが、深く突き詰めると難しい問題になりそうです。

それでもVS 恋愛における越の作品を好きなのは、混乱を男性が引き受け、女性が男性を捨てていくところにも一端があるのかもしれません。清々しいまでにみっともないキャラクタでした。

(うろ覚えのあらすじを書きます。違う部分もあるかもしれません。→映画サークルの男が撮影を口実に別れた彼女を自室に連れ込み、カメラを回しながらパン一で迫るも断られる。撮影を巡るやりとりからいかにして別れたか、出会ったかが明らかになり、元カノがはじめは浮気相手だったこと、さらに元・元カノに寝取られたらしいことがわかる)

物語も別れているところからスタートして、最後にはじまりが描かれるので、その絶対に時間が戻らない、かつてあった愛情が復活しえない、それゆえに相手に引かれてたまらないどうしようもなさがよく見えるところが好きです。

途中、あんまりにも誰も変態という指摘をしないので自分がおかしいのかなと思い、藤原に「越って変態だよね?」と確認するにいたったりなどしました。なかなか難しいものですね。また多かれ少なかれ、登場人物に困難を、俳優に負荷を与え、それに向き合う姿を見て喜びを覚えるわたしたちはみんな変態なのかもしれません。演出をしているときの私も、俳優が大変そうになればなるほど楽しそうだったと指摘されるときがあります。業が深いものです。

長くなりましたがお返事ひとまずこれにて。

どうぞよろしくお願いいたします。

荻原永璃

―――

(三通目 松本から荻原さんへ)

荻原様

お世話になっております。

ヤリナゲ記者の松本です。

お返事誠にありがとうございました!!

今回も今回とてとても興味深く拝読いたしました。

拝読してまず思ったのが、越君には肝心な時に手を引っ張ってくれる人がいて、そういう人を惹きつける魅力を備えた人なんだな、ということでした。

それはきっと作家や演出家、俳優としてのものというより、荻原さんも「愛嬌」という言葉を使っておられましたが、純粋に彼の人となりによるものなんだろうな、と思いました。

僕は実は俳優としての越君は15minutes madeの『イングリッシュ・スクール』でしか拝見したことがないのですが、出てきた途端に「a,a,apple」と発語した越君の瞳孔が開き切っていて、その上お母さん役として雑な女装をしていたのを見て澄んだ狂気を感じたのを思い出しました。

そして荻原さんが越君を早稲田演劇界隈に連れてきたことで先日インタビューをさせて頂いたH-TOAの峰松さんと越君が出会ったりしたんだな、と思うと、人生はまったくめぐり合わせですね。(そう思って、記者だてらに勝手に感動しています。)

「変態」という点についてもとてもよくわかりました(笑)。ありがとうございます!!

藤原さんにまで確認させてしまいまして、大変恐縮です。

荻原さんが「お互いがお互いの別バージョン」とも仰る藤原さんのお話を読むにつけ、藤原さんと越さんが共演しているところを観てみたいな、と思いました。そうした機会がこれからもあることを、とても楽しみにしています。

さて、この3通目では、皆さんにお聞きしている質問なのですが、

・今回のタイトルである『預言者Q太郎の一生』にちなんで、この作品がどんな作品になるのか、おもむろに預言して頂けますか?

・まだヤリナゲを観たことがない、あるいは知らない人に向けておすすめするとすれば、どのようにご紹介されますか?

さらに、

・荻原さんだからこそ知っているとびきりの越君情報があったら、教えて下さい!

というこの3つについて教えて頂けますでしょうか。

(とびきりの越君情報については、黒澤世莉さんは「越君は女の子にモテます」と教えてくれたのですが、それくらいのもので大丈夫です!)

よろしくお願いいたします。

松本一歩

―――

(三通目のお返事 荻原さんから松本へ)

松本様

お世話になっております。アムリタの荻原です。

どんな作品になるかおもむろに預言/我孫子の藤原さん

きっともう観られている方も多いですよね。わたしも周囲で観てきたよーなんて声をちらほらきいています。

あらすじだけ読むと、何回も出てきて申し訳ないんですが、藤原(藤原未歩さん アムリタ)の話ではないかと。彼女は我孫子の人なんで、初見の時、「ふじわらじゃん!!!」と衝撃が走りました。本人はつい先日まで知らなかったようなようで、伝えたらびっくりしてました。藤原がマリアならとんでもない話になるだろうなあ・・・東葛の三賢人っていうのも地域を指すのか高校を指すのか気になります。

また、預言と予言の違いになるかもですが、「件」のことを想起します。重大な事件の前に生まれる、人面の牛、あるいは牛の頭をした人間です。(不吉な)予言を残してすぐに死ぬとかいう。一生というからには死ぬまでがかかれるんだろうなあ。イエス・キリストなら復活しますが、Q太郎は果たして?そしてマリアはどうなる?しかも越の言うよい子ですからかなりひねってくる気がします。本人はそう思ってなさそうだけど。よい子Q太郎が周囲を振り回す、あるいは周囲によって振り回されて死ぬまで、の話になるんではないでしょうか。

ヤリナゲ未見、知らない人におすすめするなら/ひっかかっていることに立ち戻らせてくれる

ヤリナゲの演劇は、見終わったあとに話せる人がいるといいと思います。一緒に行くか、別々に行くかはどちらでもいいとして。生きていて納得できないこと、ひっかかっているんだけど見過ごしてきたことがあるならば、そこに立ち戻らせてくれるような作品をつくります。しかもキュートに。なにか釈然としない感覚がある人ならおすすめしたいと思います。あるいは、自分でない誰かの切実な問題に触れてみたい人、世界を受け取る別の感覚にふれてみたい人。演劇一般に対してのすすめみたいになってしまいましたが、そう思います。あと、自分のこと、世の中のことを少しでも気持ち悪いと思ったことがある人。

私だからこそのとびきりの越情報/いつかきっと全部演劇になる

けっこうこのインタビューで書いてしまった気がします。または他の人たちが。そして書いてないことは洒落ですまない気がするのでよしておこうと思います。きっと最終的には全部越の演劇になるのではないでしょうか。そのときをお楽しみになさっていてください。

あっという間に7月も半ばとなり、こんなに長い期間のやりとりとなってしまったことにびっくりします。

改めてこんな風に語ることも中々ないので、楽しい機会をありがとうございました。あんまり自然体で書いたものですから、公演の邪魔にならないものかちょっと心配でもあります。

これもまた良い巡り合わせのひとつとなれば幸いです。

荻原永璃

―――

(松本から荻原さんへ メールインタビューを終えて)

荻原様

この度はメールでのインタビューにお答えいただきましてありがとうございました。

東葛高校の先輩たる荻原さんへの今回のインタビューを通じて明らかになった越さんの「変態的」パーソナリティや、これまでの越さんの作品についての各種エピソードのおかげで、私自身劇場で拝見した『預言者Q太郎の一生』を少し深く穿ちつつ楽しむことが出来たように思います。

作家、演出家としてはもちろん、俳優としての越さんの側面も詳しく伺えたことで演劇をする人としての越さんを網羅できたのは幸いでした。

このインタビューが、まだヤリナゲのことを知らない人はもちろんのこと『預言者Q太郎の一生』を観てヤリナゲに興味を持った人がより深く(劇)ヤリナゲ、越さんについて知るきっかけになれば幸いです。

この度は誠にありがとうございました!

松本一歩

荻原永璃さん情報

■演出

岸井戯曲を上演する#11 Fin.[END OF DEMOCRACY]ほか

2017.07.22-23@blanClass

■脚本・演出

アムリタ9 東京↔岐阜往還公演

「みち・ひき」

岐阜公演 2017.09.18@御代櫻醸造

東京公演 2017.09.30-10.1@早稲田小劇場どらま館

■アムリタWeb

(劇)ヤリナゲ第10回公演

『預言者Q太郎の一生』

2017年7月14日(金)〜23日(日)

こまばアゴラ劇場

詳細はこちらから。


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