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ー記者マツモト、槍を投げる! ~10本インタビュー 第2章~

ヤリナゲインタビュー

(劇)ヤリナゲ インタビュー

ー記者マツモト、槍を投げる! ~10本インタビュー 第2章~

10本インタビュー第2章は、黒澤世莉氏(演出家 元・時間堂)です。

黒澤世莉氏プロフィール http://handsomebu.blog.jp/archives/cat_50042201.html

ある時は演出家として、ある時は王子小劇場職員として(劇)ヤリナゲ、越寛生と深い交流をもち、越寛生自身も自らを“世莉ラー”と称するなど少なからぬ影響を受けている存在。

『非在』(第4回公演 2014年6月3日-4日 於 王子小劇場)以来ほとんどすべてのヤリナゲ公演を観てきている。

―黒澤さんが初めてヤリナゲをご覧になったのはどの作品ですか?

黒澤 『非在』(第4回公演 2014年6月3日-4日 於 王子小劇場)ですね。

―ご覧になった当時の感想を教えて下さい。

黒澤 ざっくりとしたことで言うと、おもしろかったなと思いました。

―『非在』をご覧になったきっかけは何だったんですか?

黒澤 当時王子小劇場の職員だったので、特別なことがない限り王子小劇場でやる公演をすべて観ていたんです。何がおもしろかったんだろうなあ…。

たしかお父さんがいない家族の生活を描くっていうお話で、『永遠のゼロ』を馬鹿にしたようなシーンがあって、それがおもしろいなって思ったのは覚えています。

―その次の『スーサイド・イズ・ペインレス』(第5回公演 2015年3月25日-29日 於 王子小劇場)はいかがでしたか。

黒澤 『スーサイド』はなんだかあんまりおもしろくないな、って思った記憶があって、「なんかのっぺりしてるな」っていう印象だったように思います。

―それは内容についてですか?

黒澤 内容というか構造ですね。僕は演劇というのは基本的には変化を見せるものだと思っていて。僕にとっては『スーサイド』は変化を見られているという印象があまりなくて、あんまりおもしろいと思わなかったんじゃないかな、と思います。

ーなるほど。

黒澤 それ以降、 『2 0 6』(第6回公演2015年8月12日-16日 於 王子小劇場)から最新作の『モニカの話』(第9回公演 2017年1月18日-1月22日 於 STスポット)に至るまでヤリナゲの作品はほぼ観ていますね。(番外公演『フランドン農学校の豚』(2014年10月25日-26日 於 十色庵)は除く)

その都度多少つまらないとかおもしろいという誤差はあっても、ヤリナゲに対してはいつでも印象がいいですね。どれもおもしろかったです。

―ヤリナゲの過去作品で記憶に残っている俳優さんはいらっしゃいますか?

黒澤 『緑茶すずしい太郎の冒険』(再演  第7回公演 2016年3月24日-28日 於 王子小劇場)と『翳りの森』(第8回公演 2016年8月30日-9月4日 於 十色庵)に出ていた三澤さん(三澤さき(ゲンパビ))はとても印象がいいですね。

あと個人的に好きっていう意味では國吉(國吉咲貴 (くによし組))が好きです。

ヤリナゲの”構え”

ーなるほど。これまでのヤリナゲで特に印象深い作品はありますか?

黒澤 どれもおもしろかったんですが、どれが一番か、となるとちょっと難しいですね。

基本的にヤリナゲというか越君の作品は物語的に積みあがっていくようないわゆる”カタルシス”というよりも、そのプロセス自体がおもしろくて。積みあがってどこへ行くかというと結構「虚無」というか(笑)。

僕は最終的にどういうところにたどりついたか、みたいなことで面白さのファクターをはかっているところがあって。演劇を90分なり2時間なり観た時の、「人間のすべてを観たぜ」みたいな感覚というか、そういうものがないとちょっと物足りない部分はあります。

でも作り方の”構え”としてとても好意的にみられるので、越君の作品もヤリナゲも好きですね。

―カタルシスがない、ということについてお聞かせください。

黒澤 作家としての彼の個性ではあるだろうと思います。個人的にはカタルシスはあった方がいいと思うけれど、ひょっとしたら彼の演劇には必要ないのかもしれないから。

―系譜というか、他の劇作家の方で喩えるとするとどなたかいらっしゃいますか?

黒澤 岡田利規さんとはある部分で似てるのかなと思います。人間の挙動のおかしいところをクロースアップするという事もそうだし、カタルシスの話にもつながるんですけど、描いていることが平板で結構淡々としているという所も一緒かなと。

もちろん二人が演劇で目指しているものの本質は一緒ではないと思います。挙動が変、とか平板で退屈、というのは表面的な上澄みの部分のことで、根っこの部分は全然違うとは思います。

ただ「似ている人」と言われてパッと出て来たのは岡田利規さんですね。見た目もどことなく似ているかもしれない。

「ドラマ」ではなく

黒澤 ヤリナゲって、いわゆる劇的な「ドラマ」を見せる人達ではないと思うんです。

どのお芝居を観ていても、ドラマティックなお話の筋を見せるというよりはむしろ越君が「僕にはわからない」と考えていることをお芝居にしているような気はします。

人間の性みたいなこととか、一般に「こういう風にしろ」って言われることとか。色々なことが彼には分っていないのかな、と思います。

それはもちろん、ネガティブな意味ではなくて。

よく分からないが故の戸惑い、痛み

黒澤 越君自身が「人間」というものがよく分からなくて、そうやっていつも「人間って何だろうな」って考えていることが演劇になっているのかな、という気はします。

それが面白くなるためにはきっといくつか条件があるんだと思うんですけど。

誤解を恐れずに言えば、越君は人間の心みたいなものがあんまりよく分かんないんだろうなと思います。

―人間の心、ですか。

黒澤 「心」ってなんのことを言ってるかというと、「愛情」とか「優しさ」とかそういう価値のあるものばかりのことではなくて、「同調圧力」とか「常識」とか、なんか知らないけどやらなければいけないこととか。上司の機嫌をとることとか。世間一般で普通にやらなければならないとされてることとか。

―いわゆる「空気」ですね。

黒澤 たとえば授業中に静かにしなきゃいけない理由って明確にはないじゃないですか、たぶん。なんとなく「静かにしなければいけないらしいぞ」という風になるというか。学級崩壊とかしていたら静かになっていない状況もありえますけど、まあ一般に多くの日本人は授業中静かにしますよね。

でもなんで静かにしてるのかっていうと、「先生に怒られるから」かもしれないし「周りにハブられるのが嫌」かもしれないし、実はそこには論理的には説明しづらい理由があって。

そういう論理的に説明しづらい理由にも関わらず、多くの人が分かったり出来たりしていることが越君にとってはすっぽり分からないんだろうな、という気はします。もちろん全部ではないでしょうけど。

それが分からないが故の戸惑いとか、それが出来ないが故の痛みみたいなことが、彼の作品の面白さなんだろうなという気はします。

―ありがとうございます。越さんは昨年黒澤さんの演出助手も務められていましたが、演出助手としての越さんの印象はいかがでしたか。(時間堂『ゾーヤ・ペーリツのアパート』2015年)

黒澤 あの公演では三人演出助手がいたので(北村美岬(くロひげ)、田中星男(PATCH-WORKS)、越寛生)、すごくよかったです。

越君は演出助手としてだけでなくたぶんあらゆる面でそうなんですが、すごくよく出来ることと全然人並みに出来ないことが非常に歪に組み合わさっているんです。任せるべきところを任せれば非常に効果が上がるけど、出来ないこともまた等しく多いと思います。

『ゾーヤ』の時には三人ともそれぞれ異なる得意分野を持った演出助手が集まって、お互いの不得意な部分もカバーし合っていたので、越君の力も非常に発揮されていてよかったなと思います。とても感謝しています。

(『ゾーヤ』演出助手チーム 左から北村美岬さん、田中星男さん、翻訳の秋月準也先生、越さん 黒澤世莉さんブログより転載http://handsomebu.blog.jp/archives/52378195.html

―当時、稽古や本番などで特に印象に残っていることはありますか?

黒澤 苦手なことをやらされている時の死にそうな顔が、死にそうだなって(笑)。「苦手だ…」っていうことが前面に押し出されていましたね。何が苦手かっていうことを具体的には思い出せないんですけど、「こういうことは得意じゃないんだな、越は」って思ったのを覚えてますね。

だから隠し事ができない

黒澤 あと稽古でお芝居を観ていて、「あ、こういうことに気が付いちゃった、おもしろい!楽しい!」ってなっている時の越君のご機嫌な感じはすごくいいなあ、って思いました。

楽しみどころを自分で見つけて、おもしろいことがあった時にその「おもしろい!」という事を素直に表現できるのは可愛いし、いいところだな、と思います。だから隠し事ができないんだと思います、たぶん。

多くの人間は嘘をつくじゃないですか。越君も嘘をついていないとは思わないけど、感じたことを押しとどめておけないんだと思う。「嘘が下手」って言った方が良いのかな。

まあ、挙動が不審じゃないですか、彼。

―はい。

黒澤 で、その挙動が不審であることとか「どもってしまう自分」みたいなことを、実は結構知っていて、効率よく使っているな、とも思います。甘え上手ですよね。自分の弱いところを見せることで自分が庇護下に置かれるとか愛されるという事をよく知っている人だな、と。

―俳優としての越さんもご覧になっていますか?

黒澤 そうですね、ヤリナゲで出演しているのは観たことがあります。俳優としてもおもしろいと思いますよ。

―俳優をやっている時の越さんはどんな様子なんですか?

黒澤 普通ですね。いや、普通って言うと違うけど、いつもの「すごく変な挙動のおかしい人」っていう風にはしてないですね、割とちゃんとしてます。

あの挙動のおかしいのが演技だとは全然思っていなくて、ああなってしまうんだろうと思います。ああなってしまうことを、うまく使えるというのはおもしろい人だな、と思いますね。「うまく使えるんだ!」って。

―時に、越さんはカレーがすごく好きだと伺いました。黒澤さんもカレーが好きだと伺いましたが、あれは黒澤さんの影響なんでしょうか。

黒澤 え、それは知らない、知らないです(笑)。仮に越君が俺の影響をたくさん受けているにしても、「君、俺の影響でカレー好きになったの?」って聞かないし、そういうことを観察で見抜こうとはあまり思いませんからね。越君はカレーが好きだとは思いますが、越君が俺の影響でカレーが好きになったんだとは思わないです。

―越さんとカレーの話はされますか?

黒澤 するけど、

―するんですね!

黒澤 するけど、別にそんなに…。そんなですよ。

―やはりお店の情報の交換などですか?

黒澤 うん、まあ、美味しかったお店とかは教えますね。

(『ゾーヤ』稽古場でカレーを食べる演出助手の北村さんと越さん 黒澤世莉さんブログより転載http://handsomebu.blog.jp/archives/52372209.html

―越さんがカレー屋さんでアルバイトをしていて、最近ついにホワイトカレーを作れるようになったと聞きました。

”店長の許可をもらったので、今日から「ホワイトカレーも作れる劇作家・演出家」を名乗ることにします。

黒澤 いいと思います。

削いでやる

―これまでヤリナゲの作品をご覧になってきて、「演出家 越寛生」についての印象を伺えますか。

黒澤 演劇って、すごく大ざっぱに二種類に分ける方法があると思っていて。一つは「おおげさにやる」ということと、もう一つは「削いでやる」というのがあると思うんです。

ヤリナゲを初めて観たときに、越君のおもしろいって思ってる演劇の「削ぎ方」は僕にとってはすごく信用できるし面白いと思った、っていう印象がありますね。

そしてそれはおそらくこれまで一貫して変わっていないような気がします。

黒澤 これは『非在』(第4回公演 2014年6月3日-4日 於 王子小劇場)の時からそうなんですが、舞台上の俳優の存在に関して過剰なものをすごく排するんだと思います。

こう言うと実は正しくない部分もあるんですけど、俳優の居方として過剰であるということを嫌がる人だな、と思って、そこはすごく共感できます。

たとえば分かりやすく言うと、「正面向いて元気よくしゃべるというのはなんだか気持ちの悪いことだ」みたいなことがきっとあって、それは観ていてすごく共感できるな、というところです。

「おしゃれ」

黒澤 越君は基本的におしゃれなんです。演劇をやっていておしゃれというのは俺にとってもすごく大事なことです。いろんなことがおしゃれであるということ。越君の作品を観ているとすごくおしゃれだなあと思います。

―「おしゃれ」ですか。

黒澤 逆から考えると分かりやすいと思うんですけど、「ダサい」っていうのはたくさんあると思うんです。本当にこれってもう人の好みの部分になってくるんですけど。

例えば僕はビジュアル系って苦手で、その要素をあんまりかっこいいと思えなかったりするんです。そういう意味で、越君のやっている演劇は僕にとってはおしゃれだなと思う要素が多いんです。

「オーディナリーではない」

黒澤 それはミニマリズムみたいなこともそうだし、リリカルという意味でもそうだし、作品のドラマツルギーとしてもそうですね。あるいは視覚的にも、音楽的にも演出的にも言語的にも「おしゃれだな」って思うし、センスの良さを感じます。

それはひょっとするとそれは「オーディナリーではない」ということかもしれません。「オーディナリーではない」というのは、逆に言うと演劇劇に使い古されたことはあまりしていないっていう意味ですね。

黒澤 いまの話で言う「ダサい=オーディナリーである」っていうのは、例えば「(モチーフとして)すぐ新選組を使いたがる」とか「すぐジャンヌダルクを使いたがる」とか、「すぐタイムスリップさせたがる」とか「すぐ(登場人物を)『トイレに行く』ってハケさせたがる」とか、「すぐ『お前の一番大切なものはお母さんだろ!?』みたいに台詞で語っちゃう」とか「『本当はもっとみんなを大事にしたかった』って台詞で語っちゃう」とか、困ったら暗転するとか(笑)。

「ダサっ」って思うのはそういうことですね。人を感動させたいと思うのか、もう「出てきた瞬間からそいつが裏切るって分かってたんだけど」みたいなこととか、「始まって15分でそいつが実のお父さんだってわかったんだけど」みたいな、そういう手つきのお芝居はやっぱりダサいなっていう風に思ってしまいます。「演劇を知らないな」って思ってしまうし、観たことある演劇のつなぎ合わせだったり焼き直しだったりでしかないな、と思えてしまって。

高校演劇の大会なんかに行くとよくわかると思います。そういう演劇のオンパレードで、一部すごくオリジナリティがあって「お前みたいなやつをすくすく育てたいよ」って思うんですけど。

オリジナルで、美しい

黒澤 人間が苦しむことってそんなに変わらないから、作家が書きたいことってぶっちゃけそんなに変わらないような気がしていて。もちろんアイデンティファイされたものはあると思うんですけど、「一人だと寂しい」とか「好きな人とうまくいかない」とか「夢が破れる」とか、そういうことで人間苦しむわけじゃないですか。その苦しみの描き方がオーディナリーになってしまっていると「ダサい」と感じます。

黒澤 越君がオーディナリーにそれを描いていないのは、単に越君が普通になれないだけかもしれないけど(笑)。でも結果として非常にオリジナル、独自なものになっているし、その独自なものが僕は美しいと思っているかな。

それでカタルシスがあればもっと好きかも知れない(笑)。

ーありがとうございます。ここでひとつ”世莉ラー”たる越さんのお師匠として、何かとびきりの越君情報などありましたら教えて下さい。

黒澤 俺の知りうる限り、越君は女の子にモテます。

―なるほど、ありがとうございます!

太巻きみたいな

―さて、『預言者Q太郎』というタイトルにちなんで、まだ見ぬ『預言者Q太郎の一生』がどんなお話になるのかおもむろに預言して頂けますか。

黒澤 預言者Q太郎が、生まれて死ぬ。……あと、預言者Q太郎が太巻きみたいだなって思ったんです、フライヤーを見て。

だから、あんな太巻きみたいな人間がいっぱい出てきたらおもしろいなあって思います。

きっとそういう人間がいっぱい出てきます。筒みたいで、それに手足が付いているような人がいっぱい出て来るんじゃないのかなと思います 。

―なるほど…!最後に、まだヤリナゲを観たことがない人や、ヤリナゲを知らない人に向けておすすめするとすれば、どうご紹介されますか?

黒澤 もしあなたがエンターテインメント好きだったら、観なくていいです。

もしあなたが人間の機微を細かく描いた演劇が好きだったら、おすすめです。

ーありがとうございました。

(2017/6/1 下北沢にて 聞き手:松本一歩)

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(11:00~20:00/水曜定休)

(劇)ヤリナゲ第10回公演

『預言者Q太郎の一生』

2017年7月14日(金)〜23日(日)

こまばアゴラ劇場

詳細はこちらから。


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