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ー記者マツモト、槍を投げる! ~10本インタビュー 第1章~

(劇)ヤリナゲ インタビュー

ー記者マツモト、槍を投げる! ~10本インタビュー 第1章~

(劇)ヤリナゲ主宰の越寛生氏からの命を受け、記者を務めることとなりました松本一歩と申します。(以下、マツモトと表記します。)

記念すべき第10回公演にちなみ、これまでの(劇)ヤリナゲの公演をご覧になった方、あるいは携わったり出演された方々に、インタビューを槍に見立て、これから10本の取材を通して(劇)ヤリナゲ、ヤリナゲの作品、あるいは主宰の越さんについての色々なお話を伺って参ります。

「槍を投げる!」と題してしまった以上、槍を投げねばなりません。幸い肩は人並み以上に強く、投てきにはすこし自信があります。

不束者ではありますが、よろしくお願いいたします。

第1章は、小劇場の”イレギュラー系”小道具制作チームNichecraft辻本直樹氏です。

第3回公演『緑茶すずしい太郎の冒険』(2014年3月21日-23日 於 荻窪小劇場 以下『緑茶』)

第4回公演『非在』(2014年6月3日-4日 於 王子小劇場)

第5回公演『スーサイド・イズ・ペインレス』(2015年3月25日-29日 於 王子小劇場 以下『スーサイド』)

第6回公演『206』(2015年8月12日-16日 於 王子小劇場 物販用台本製作)

第7回公演『緑茶すずしい太郎の冒険(再演)』(2016年3月24日-28日 於 王子小劇場)

に小道具として(劇)ヤリナゲに携わる。

ー辻本さんが初めてヤリナゲの作品に参加された時のお話から伺いたいと思います。

辻本 僕は『緑茶すずしい太郎の冒険』(初演 2014年)で初めて(劇)ヤリナゲに小道具として関わったんですが、実は越君が作・演出した芝居を初めて見たのもこの『緑茶』でした。オファーされた時点では一回もヤリナゲの作品を観たことがなかったんです。どういう作品を作る人なのか、とか。

ーそれまでに越さんと面識はあったんですか?

辻本 アムリタ(演出・荻原永璃氏による演劇団体)の稽古場で俳優として出演していた越君と会ったのが初対面だったと思います。その時僕もスタッフとして関わっていて。

後ろからついて来る人影

辻本 当時アムリタが早稲田で稽古をしていて、帰りに高田馬場まで歩いていた時に後ろからついて来る人影がいて、振り返ってみるとそれが越君でした。

稽古場を出た時間から逆算すると、きっと越君も追いつきそうで追いつかないくらいの距離を保って後ろからずっとついて来ていたんだと思うんですけど、僕が振り返った瞬間には『今気付いた!』みたいな反応をしていて。なんか変わった人だな、と思いました。

ーなるほど!

このタイトルは0か100か

辻本 それで今度越君がやる公演で小道具をやってほしいという話をされて、『緑茶』の企画書を送ってもらいました。

『緑茶すずしい太郎の冒険』というタイトルを見た瞬間に「これは絶対面白いか絶対つまんないか、0か100かだ」と思って引き受けたんですけど(笑)。結果的にはとてもよかったな、と思っています。

ーそこからヤリナゲとの関係が始まるんですね。

辻本 『緑茶』の初演が終わり、その次が王子小劇場トライアルの『非在』(2014年)という作品で、それも小道具として参加しました。

その次の『スーサイド・イズ・ペインレス』(2015年)も、やはり小道具として参加していました。

その次が『206』(2015年)ですね。『206』では台本の製本だけ関わって、本編には関わりませんでした。その時に舞台稽古を見せてもらって、久しぶりにヤリナゲを外側から観ました。

ー『緑茶』(初演 2014年)について、お聞かせください。

辻本 初演が荻窪小劇場で、下見も一緒に行ったんです。その劇場のつくりを使いたいというので2階の部屋があったりだとか、劇場の構造上の出ハケの都合から、劇中の家の間取りとかも考えられてたっぽいな、と思います。

越君の中で、どこが創作の起点になっているんだろう、というのは割に今でも謎のままですね。

テーマみたいなものはもちろんあるにしても、お話のとっかかりになるものが何なのか。それはたとえば劇場のつくりだったりするのかもしれないし。

ー『緑茶』では、どんな小道具を作られたんですか?

辻本 劇中で急須を頭に載っけてる登場人物がいて、その急須を作ってほしいと頼まれたんです。それで小道具の段取りとして、「ちなみに中身のお茶は入ってないよね?」というか、入ってたらこぼれちゃうから「(お茶は)入れないよね?」という意味で確認をしたら、その瞬間に『入れたらこうなる』という絵が越君の中に浮かんだらしく、結局お茶を入れることになりました。

ーへえぇ!

(『緑茶』初演時 舞台写真より 撮影:吉田夏子)

辻本 しかもそれがラストのすごく印象的なところで、きちんと劇中で「お茶をこぼす」という意味を持って使われていました。

越君は「(中身のお茶について)聞かれて思いついたんです」って言ってたけど、「あれ、じゃあ最初ラストはどうするつもりだったんだろう」って思ったのを覚えています(笑)。

だから割と用意されたもので勝負するタイプなのかもしれない。

ー『非在』(2014年)ではどんな小道具をつくられたんですか?

辻本 『非在』では主人公の父親が登場するんですけど、もう故人なんですね。だから部屋に遺影が飾られていて、その遺影が生きている人々の話を聞いていたり、たまに語りかけたりする。

遺影って首から上だけしかないので、上下とも黒い服を着た役者の顔に額縁を装着してもらいました。観光地の顔ハメパネルを無理やり押し込んだみたいな状態になってる。

(『非在』舞台写真より 撮影:のあのえる)

ーこれは、はまっていますね。

辻本 『非在』は、死人に口なしというか、「お父さんも天国で喜んでる」とか「そんなんじゃお父さんが浮かばれない」とかいった言葉が、一見故人の遺志を尊重しているようで実は説得力を増すために故人の存在を権力的に利用しているだけなんじゃないか…というのがテーマになってるんです。

ーなるほど!『スーサイド』(2015年)については、いかがですか。

辻本 『スーサイド』もほんとにいろいろ断片的なシーンがあって、越君に「今回一番やりたかったことって何なの?」って聞いたら、冒頭の照明委員会っていうサークルの会議のシーンだと。

ー照明委員会。

辻本 ICU(国際基督教大学。越寛生の出身校)に実在するサークルらいんですけど、ほんとにただの会議のシーンだったんです。やろうとしている芝居があって、これをやるには予算がどうだとか場所がどうだとかってことをみんなで話し合って決まらなくて、自然解散するっていう、ほんっとに何でもないシーンが一番やりたかったらしくて。『スーサイド』の作品としてのクライマックスとはまっったく関係ない(笑)。

ーええっ。

辻本 外から見ていると無くても全然成立するようなシーンなんだけど、そこが一番やりたかったって言ってたのを聞いたことがあります。

ーやりたいからやっている、というシーンがあるわけですね(笑)。

辻本 読み合わせの時も、越君は楽しそうに笑いながら聞いていたりしていて。たぶん越君が「やりたいからやっている」というシーンは必ず残していると思う。たぶん、自分の本当に見たいもの、見たいシーンを繋いでいるうちに、いろんなとこが繋がったり剥がれたりっていうのを作りながら発見していって、結果出来上がったものがああいう形になるんじゃないかな。

ーなるほど。

越君はずっとおもしろい

辻本 台本には結構ちょいちょい越君の実話に基づいたエピソードが入っていたりして。

越君がかつて教員として学校で教えていた時代に、生徒が英作文の宿題で「RADISH COMES」って書いてきたことがあったと。

それをよく読むと、どうやら「かぶき」を自動翻訳したら「かぶき」=「かぶが来る」=「RADISH COMES」でそうなっちゃったらしくて。

それが『緑茶』のワンシーンになっていて、登場人物が「”RADISH COMES”って何!?」って問い詰められるというシーンがあって、越君はそこで毎回笑ってるんです(笑)。

役者でも、初見だと面白いシーンってあるじゃないですか。ギャグだったりとか、勘違いで起こる笑いとか。みんなだんだん慣れていくのに越君はずっと面白いみたいで、越君だけずっと笑ってる(笑)。

ーコストパフォーマンスがいいんですね!

ぼかしつつ、現実を描く

ー『206』(2015年)については、いかがですか。

この作品あたりから今現実に起きているデモの話とかを、割に分かりやすく描くようになったな、という印象を受けました。劇中の設定としては「らくだ星」という地球とは全然離れた場所の話ですよ、と言いながら、地球の話をしているというか。

ぼかしてはいるけど、元がなんなのか絶対にみんな分かっている、という感じ。地球の話だけど、あくまで「らくだ星」の話として「はい、ぼかしてます!」って全部言っちゃってる感じがする(笑)。

越君自身がハイバイ(主宰・岩井秀人)がすごい好きで、その影響を強く受けてるというのも自分でも認めているし、ハイバイも自分の身の回りの事や実体験をもとに作っていたりするから、もしかしたらそういう影響は大きいんじゃないかな。

「お芝居」であることを、引っぺがす。

ー小道具として参加されてみて、(劇)ヤリナゲの作品はいかがですか?

辻本 三作品に関わってみた印象としては、やっぱり後半で「お芝居だ」っていうことをすごい引っぺがしてくるな、っていうことを強く感じました。

最新作の『モニカの話』(第9回公演 2017年1月18日1月22日 於 STスポット 以下『モニカ』)もそうだったけど、その「引っぺがし方」がちょっと変わってきている気はしています。

今までは、劇中の主人公の立場がどんどん追い詰められていたのに対して、『モニカ』では、劇中の人物ではなくて演劇そのものが崩れていくような印象をちょっと受けました。

だから今回どうなるか、とても楽しみです。

ー「お芝居だ」という事を引っぺがす、という点について詳しく教えて下さい。

辻本 今適当な語彙が見つからなくて「引っぺがす」って言っちゃったんですが、なんて言ったらいいんだろう…。

これ実は自分がBITE(編集長・園田喬し氏による演劇情報誌)の創刊号で越君にインタビューした時に聞いたことではあるんですが、『緑茶』もそうだし『スーサイド』も、序盤はもうほんとに笑って見てられるというか。言葉や行動のおかしさで結構笑いが起きるんです。

それが、あるところを境にして、急に笑えなくなるというか。今まで指さして笑っていた向こう側にあったものが、実は自分の中にあると気づかされる感じがする。だからそれまで自分自身を笑っていたことに気付くんです。

特に『スーサイド』ではそれが大きかったですね。

(※このBITE創刊号での辻本さんによるインタビュー後に、ヤリナゲの劇団紹介に「その笑いは、あなたに返ってくる」というフレーズが追加されたとのこと。)

ーおおお、そうした越さんの作劇術の妙というか、ヤリナゲ作品の特徴、ドラマツルギーがあるんですね。

「その笑いは、あなたに返ってくる」

辻本 「自分を笑う」というのとは少し違うんですが、『緑茶』で言うと、出生前診断の話だったんですけど、急にすごいご都合主義的な展開になるんです。

親切にしてあげて「今度お礼しますね」って言ってくれてた人が実は地蔵だった、っていう展開になっていく。

ー地蔵ですか!

辻本 その地蔵が「恩返しで無事に子供を産ませてあげます」みたいなことを言って、そこからとんとん拍子で事が運んで不倫問題とかも一発で解決しちゃうんです。

それで何の問題もなくするーっと最後まで行くんだけど、最終的に障害をもつ姉が母(ウーロン茶あつい花子)のおなかを殴って、頭のウーロン茶がこぼれて(=破水して)、流産しちゃったのかな?というのがぎりぎり分からないところで終わる。

急にぶつ切りにしたように終わるので、結構「なんだったんだろう…」ってなるし、序盤笑って観ていたことへの罪悪感も生まれて来る。

ーなるほど。

辻本 その辺をどこまで狙って作っているのかというのが三回関わってもまだ、はっきりとは見えてこないというか。

もちろん全然狙っていないわけではないだろうと思いますが、たとえば急須のお茶がこぼれる、というシーンを作ったのももし偶然だったとしたら、ちょっと恐ろしいぞ、という感じがします。

書きながらたどりつく

辻本 そういうラストなので、『緑茶』は初演の時にも再演の時にも観た人の間で割と物議を醸したんです。やっぱり嫌な感情になる人もいるし。

でもたぶん越君は、これは私の憶測だけど、観た人を不快にさせようとも思ってないし、かといって「これが正解です」というつもりもなくて、考える入り口というか、越君自身がおそらくどちらが正しいか分からないから書いた、というか。自分が分かるために書いたんじゃないのかなという気はします。

あのラストは結論ではないんだと思う。

分からないなりに物事を台本を書きながら考えていったらああいうところへたどりついてしまったのではないかな、と。

ー何か答えがあるわけではなくて、越さん自身が書きながら考えていると。

辻本 そういう意味で、ヤリナゲは今まできっと越君が「いま興味のあること」を掘り下げて書いているというのがあったから、次の作品で何をあつかうんだろう、と。

越君の興味と直結しているからこそ面白く見られる部分はあって。

ーなるほど。

辻本 当日パンフレットに載っている越君の前書きがあるじゃないですか。その分量がすごいんですよ。段組みも考えずに「読ませる気ないだろ」というくらいびっしり書いてあるのをみると、やっぱり越君自身ある問題についてすっごい考えているけど、「一緒にまじめに考えましょう」みたいな芝居には絶対したくないんじゃないのかな、と思ったり。

ーふむふむ。

辻本 あと、今気づいたけどヤリナゲ作品のほとんどが「主人公が今から始まる話について客観的に紹介するところから始まる」気がします。海だったら砂浜、波打ち際というか。それでいて物語が進むにつれて首まで浸かるような満ち潮になったあと、引いていかない感じは共通してあるかもしれないですね。

ヤリナゲの稽古場

ー稽古場での演出家としての越さんは、どんな様子なんですか。

辻本 飛び跳ねたりとかしてます。前触れなくジャンプしたりとかするので、「ちゃんと稽古見てるのかな?」と思うこともあるんですけど(笑)。

でもそれはたぶん、そうすることで一番自分がリラックスして稽古を見られているんだと思う。それが「演出家だからこういう風に稽古を見なければならない」みたいなものからとても自由という感じがあります。俳優にもとにかくリラックスするというか、あんまり肩肘張らずにやるように皆を促していく感じはいつもあると思います。

ヤリナゲの会話の仕方

辻本 『緑茶』(再演)の顔合わせの時に、ちょっとしたシアターゲームをやったんです。円になってボールを誰かに投げて渡すだけなんですけど。そうすると、うまく渡せないこともあるけど、投げる時に絶対に相手の顔を見るし、相手が受け取れる状態になってから投げるっていうのをみんな誰に言われるでもなく自然にやっていると。その時に越君が「これがヤリナゲの会話の仕方です」って言っていて、それはすごく腑に落ちましたね。

ーおおお、なるほど。

辻本 演出している時の感じは、他で観たことが無いです。「そういう見方するんだ!」というか。自分が書いてきたシーンの稽古で誰よりも笑ってるし(笑)。

あと稽古が終わった後に絶対に役者さんに「どうでしたか?」って感想を聞いたりしている。自分からのダメ出しではなくて、感想を聞く感じ。

『緑茶』の再演の時には、通し稽古の前に役者ひとりひとりに「今日の稽古の目標」を聞いていた。浅見くん(浅見臣樹)は「大きな声を出す」って答えてたけど(笑)。

とにかく目標がある状態で通し稽古をやるこということにこだわっていたんじゃないかな。

率先して自由である

辻本 やっぱり越君が演出家というポジションで率先してすごい自由に振る舞っているので、役者の人たちも変な緊張はしないし、稽古場の雰囲気の作り方はかなりうまい部類だと思います。どこまで意図してやってるのか分からないという所まで含めて上手いな、と思う。

人をやる気にさせるとか、緊張してる人を楽にさせるとか。その部分ではかなり効果が出ているし、とてもいやすくて見ていて楽しい稽古場です。

ーありがとうございます。おもむろで大変恐縮ですが、今回の『預言者Q太郎の一生』というタイトルにちなんで、どんなお話になるのか、ひとつ預言して頂けますか。預言できないまでも、予想して頂けますでしょうか。

辻本 割といつもチラシの作品のキャッチコピーを毎回気にして見ているんですが、今回はそれよりも『預言者Q太郎の一生』というタイトルのインパクトが強かったです。『緑茶すずしい太郎の冒険』に通ずるものを感じました。

あと今回は宣伝美術の人が変わって(瓜生太郎氏)、イメージが一新された感じもあって、それで予想が付きにくい部分も大きいですね。

まあ普通に考えて預言者Q太郎が主人公だろうと思うんです。が、いつものヤリナゲのセオリーからすると、最後に何が待っているのかは全然見えないな、と。

自分を見つめなおすために観る演劇

ー最後に、ヤリナゲを知らない・観たことがない人へ向けておすすめするとすれば、どうご紹介されますか?

辻本 ヤリナゲに限らず、演劇はまずは観ないと始まらないところがあります。

単純に観て楽しいものもあれば、観て考えるものもある。その二つで言うと間違いなく観て考える方だと思う。

けど、ただ観て楽しんで帰ることも出来るから(笑)。

間口はかなり広いので、入ったらどんどん奥の方へ連れていかれる感じです。

決して派手な話ではないし、歌ったり踊ったりももちろんないし、地味っちゃ地味なんだけど、自分に笑いが跳ね返ってくるというところを踏まえると、「自分を見つめなおすために観る演劇」。その一つだと思う。

ーありがとうございました。

(2017/5/23 聞き手:松本一歩)

Nichecraft辻本直樹氏 関連公演情報

【小道具】

やっせそ企画「ワンマン・ショー」

作:倉持裕(ペンギンプルペイルパイルズ)

演出:成島秀和(こゆび侍)

8月2日〜6日@SPACE雑遊

(劇)ヤリナゲ第10回公演

『預言者Q太郎の一生』

2017年7月14日(金)〜23日(日)

こまばアゴラ劇場

詳細はこちらから。


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