『マツやんの 10倍ワーニャ伯父さん』#1
こんにちは。マツやんです。
なにがはじまったのかお分かりでない方も多いでしょうが、こちらは(劇)ヤリナゲ第8回公演『翳りの森』の関連企画でございます。これから公演初日の8月30日まで、ちょぼちょぼと更新をさせていただきます。
(あ。マツやんというのは、今回出演しますマツバラ元洋です。
境遇としては よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属して、1000人くらいの若手のなかでウゴウゴ烏合烏合しています。)
さて、この企画はなんなのか? と趣旨を説明しますと、
『翳りの森』の原作である、『ワーニャ伯父さん』(アントン・チェーホフ 作)を
読もう!
知ろう!
というものです。簡単ですね。
すでに先行記事での 脚本:阿部ゆきのぶさんの言葉にあるように、
『翳りの森』は
「太宰の文章を交えつつチェーホフのワーニャ伯父さんのストーリーを現代劇でやる」
という、こんがらがったコンセプトでできた劇です。
でも、
しらずに見たらそうは気づかない(くらい上手くできてる)
しらずに見てもおもしろい(と思う)!
しかしそれだけがおすすめする見かただろうか(いや、ない)
そう考えました。
なので、このブログ企画ですこし、原作である『ワーニャ伯父さん』をご紹介し、読みすすめていきましょう。
そうして、ちょっと違った『翳りの森』を見ていただきたいと思います。10倍くらいになったら無上の喜びです。なにが10倍なのかはわからない。
「でも、『翳りの森』のストーリーって『ワーニャ伯父さん』と同じなんでしょ?」
「それ読むってネタバレじゃん!」
と、察しのよい危惧をしてくださる方もおられるでしょうか。「じゃん」なんて、ハマっ子じゃん。
しかしどうでしょう。1897年に発表されてから、これまでどれだけ『ワーニャ伯父さん』は上演され、観られ、読まれ、訳され、真似され、換骨奪胎され、本歌取られしてきたと思いますか?
演劇に限らず、 ”ドラマづくり” へ、チェーホフが及ぼしてきた影響は計り知れません。
あまたの俳優養成所、シナリオスクール、現場のパイセンがチェーホフを必読書としてきました、そしてそれによって、これまであなたさまが見てきたフィクションのなかに、どれだけチェーホフの細胞が埋め込まれてきたことか。
チェーホフさん
だからそこにははもう、細かく細かく『ワーニャ伯父さん』のネタバレが仕掛けられていたも同然で、結局、こうしてチェーホフを摂取して育ち、生き、死んでいった先達、それを引き継いで今を生きる私たちは、みんなもはや、ネタバレそのものだと言って、
過言ではないでしょう。
過言だ。
大丈夫です。知れば、もっと『翳りの森』がおもしろくなります。
あるいはネタバレに対する不安にはこうも言えるでしょう。
「たぶんここでは最後まで読み終わらない」
そうですね。いいですね。はじめますよ。
ではあらためてタイトルコールを。
イエーーー!!!
* * * * * * * * *
『ワーニャ伯父さん』の戯曲をひらくと、こんな文章からはじまります。。。
ワーニャ伯父さん 四幕からなる田園生活の情景 (※1)
どうやら「四幕」(4パート)に分かれた劇のようです。
「田園生活」ときたら、舞台は田舎、ということなんでしょうね。
「情景」なんて括られているのは?
『ワーニャ伯父さん』ってタイトルなんだから、「田園男の一代記」とかじゃだめなのか。
それと『ワーニャ伯父さん』って、いかにも主人公然としたタイトルですが、人は、誰に対しても伯父さんなわけじゃありません。ワーニャさんは、誰の伯父さんなんでしょうか?
では
今回はここ(戯曲の表紙)まで。
次回まで、どんな話かな。と想像を膨らませてくださいますように。
1回目はサヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。
* * * * * * * *
(「もういやだ! こんなんつき合ってられっか!」あるいは、「もう! すっかりワーニャ伯父さんの舌になっちゃったワ!」という方は、「青空文庫」にて無料で読むことができますのでどうぞ。)
『ワーニャ伯父さん』(神西清:訳)
(※1)引用は光文社古典新訳文庫『ワーニャ伯父さん/三人姉妹』(浦雅春:訳)p.7より。