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「フランドン農学校の豚」と宮沢賢治

(豚や牛のおもちゃ)

ぼくはぜんぜん宮沢賢治のよい読者ではない。まず詩が読めない。(あめゆぢゆとてちてけんじや)とか言われてもわからない。それから「銀河鉄道の夜」に感動しない。小学生の時に初めて読んで「(この間原稿数枚ナシ)」というのを見て、なんでそんな穴のあるお話を読まなければいけないのかと思った。「注文の多い料理店」ははじめからしまいまであるのにおもしろくなかった。「風の又三郎」は何が起きているのかわからなかった。たぶん一つには小学校で「雨ニモマケズ」を学年みんなで朗読したがカタカナばっかりで気持ち悪かった。それから「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」という言葉を母がやたら聞かせて、そういう聖なる存在みたいなふうに言われるほどとっつきにくかった。大学生の時に友達が「銀河鉄道の夜」を舞台にしたのを見てそれがおもしろかったので10年ぶりくらいに読んでみようと文庫本を買ったら「フランドン農学校の豚」が入っていた。

童話というにはおかしな話だ。童話にあるべき勧善懲悪的な要素――「猫の事務所」で突然獅子が現れてかま猫を助けたり、「貝の火」でホモイが失明してしまうみたいな――がない。一方で「銀河鉄道の夜」や「やまなし」みたいな、多様な解釈を許す詩的な世界観、というのでもない。何が起きているか、どうしてこうなるのか、は単純だ。農学校で豚が育てられ、死亡承諾書への印を迫られ、屠畜される。

ところが最後の段落で突然「その晩空はよく晴れて、金牛宮もきらめき出し」だの、「冷たく光る限月が、青白い水銀のひかりを、そこらの雲にそそぎかけ」などと、突然抒情めいてくる。このあたりは「なめとこ山の熊」に似ている。どちらも主人公が死んでしまって、雪の中月明かりやら星明りやらに照らされている。けれどもなめとこ山の熊では小十郎の顔が笑っているように見えたり周りを熊たちが取り囲んでいたりしてどこか救いがあるのに、この作品はちがう。この抒情は豚を救うようにははたらかずいっそう物悲しさが増す。その意味でこの月の描写は取ってつけたような感じがある、と思ったらなんと初期稿ではこの部分はなく、最後の段落は「とにかく豚は八つに分解されて便宜上雪の中に漬けられたのであります。」の一文だけだった。(新校本宮澤賢治全集9 筑摩書房)

ここで初期稿と最終稿を比較してみると最後の段落のほかに大きく異なるのは文体で、前者は「です・ます体」、後者は「だ・である体」で書かれている。変更の一番の効果は前者にある童話らしさ、悪く言えば生ぬるさを排したことで、彼は改稿に際してより鋭く、あるいはつっけんどんな描写を選択した。ここに「フランドン農学校の豚」をおおう冷徹さが完成するが、彼はさらに思いもよらないところでです・ます体に戻してくる。これがとても恐ろしい。この一文を見てしまってから、宮沢賢治が気になり始めた。最後に月の描写を入れたのは、鋭くなりすぎたこの物語を和らげようとしたのだろう。この人はお話がどうやったらもっとも効果をあげるかということを考えながら書いている。それは作家として当たり前だけれど「宮沢賢治」という名前を前に今までそれを知らなかった。それで思ったのは宮澤賢治は弱者の味方とか虐げられる者に寄り添うみたいに言うけれども、むしろ弱い者いじめの達人じゃないだろうか。というのは物語の中にだいたい悪口というかからかいが出てくるからで、このからかいがそうとうひどい。とくに強烈なのが「気のいい火山弾」で、「ベゴ」という黒い石が死火山のあたりにいるが周りの石たちはこれをいじめる。

「「ベゴさん。今日は。おなかの痛いのは、なほったかい。」

「ありがたう。僕は、おなかが痛くなかったよ。」とベゴ石は、霧の中でしづかに云ひました。

「アァハハハハ。アァハハハハハ。」稜のある石は、みんな一度に笑ひました。

「ベゴさん。こんちは。ゆふべは、ふくろふがお前さんに、たうがらしを持って来てやったかい。」

「いゝや。ふくろふは、昨夜、こっちへ来なかったやうだよ。」

「アァハハハハ。アァハハハハハ。」稜のある石は、もう大笑ひです。

「ベゴさん。今日は。昨日の夕方、霧の中で、野馬がお前さんに小便をかけたらう。気の毒だったね。」

「ありがたう。おかげで、そんな目には、あはなかったよ。」

「アァハハハハ。アァハハハハハ。」みんな大笑ひです。」」(青空文庫より)

この、相手が傷つくかもしれない、嫌がるかもしれない、ということを考えないで自分たちが楽しいからからかうのはたぶん「いじる」だけれども、つまりこれだけ「いじる」描写ができる人間が心の清い人であるはずがない。とは言い過ぎだが少なくとも単なる「デクノボー」であるはずがない。(そもそも「デクノボートヨバレ」るのだ。)

(越)


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