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ー記者マツモト、槍を投げる! ~10本インタビュー 第3章~

ヤリナゲインタビュー

(劇)ヤリナゲ インタビュー

ー記者マツモト、槍を投げる! ~10本インタビュー 第3章~

10本インタビュー第3章は、中村あさき氏(元・(劇)ヤリナゲ 俳優)です。

中村あさき氏(なかむら あさき 元・(劇)ヤリナゲ 俳優)プロフィール

1991年イギリス生。バレエ・モダンダンスの経験を生かし、踊ることもある。(劇)ヤリナゲには第1回公演から参加。2015年『206』で佐藤佐吉賞優秀主演女優賞を受賞。

―中村さんがヤリナゲと関わるようになったきっかけを教えて下さい。

中村 大学2年生の頃に『八木さん、ドーナッツをください。』(第1回公演 2012年1月11日-12日 於 国際基督教大学ディッフェンドルファー記念館  西棟多目的ホール)という作品に誘われて出演したのがきっかけです。

当初ヤリナゲという団体自体その公演で「ヤリニゲる」予定で劇団名も「ヤリニゲ」となるはずで、その後関わる予定もつもりもなかったんですけど、越が大学を卒業して(越が中村の一学年上)私も卒業するときにまた活動を再開して、ぼちぼち出演するようになりました。

中村 しばらく出演しているうちに「ヤリナゲに入らない?」って言われて、「うーん」という時期があって。

私自身「演劇を本格的にやりたい」という考えも特になく、かといってやりたくないわけでもなかったので、ヤリナゲに入ることで何がどうなるんだろう、と考えてしばらく返事をしていなかったんです。

でもある時「やってみよう」と思って、2014年8月に正式にヤリナゲに入りました。そこからは劇団員としてヤリナゲに関わりました。

出会いは照明委員会

中村 越と知り合ったのは私が大学に入ってしばらくしてからだったと思います。

私が大学1年の三学期目の時に、当時越が入っていた「照明委員会」という舞台の照明を手掛けるサークルで出会いました。

そこで越も照明のオペとかチーフ、デザインとかを時折やっていたと思います。

越は大学1年生の時にもミヒャエル・エンデの『モモ』を題材にした作品を作って学内の”教室公演”というので演出をしていたみたいなんですけど、越の脚本・演出でヤリナゲとして作ったのは『八木さん』が初めてということだったと思います。

ーその第1回公演から出演を重ね、第9回公演『モニカの話』(2017年1月18日-1月22日 於 STスポット)を最後にヤリナゲを退団されました。現在も俳優としての活動は続けられているんですか?

中村 機会があれば映画とかには出たいと思っていますけど、特に続けてはいないです。「趣味・女優」にしたいな、と思って(笑)。

いろいろあったんです。「演劇との距離感を変える」というのがこの『モニカ』の前後くらいでの私にとっての一大事で。それまでの取り組み方をちょっと変えたいな、と思って、いま一回離れています。

ただのおもしろい世界

中村 やりたくなくてやらないというわけではないし、でも熱烈にやりたいと思うわけでもなくて。好きな程度にやれたら一番好きなままでいられるのかな、と。

実際仕事を始めたら、「つまんないな」って思った時に演劇のことを思い出すんです。

ただのおもしろい世界だったな、って。めんどくさいこともないし、みんな言いたいことを言うし、ヤリナゲは少なくともこっしー(越)がああいう感じだから「社会性はひとまずおいとこう」という方針で付き合うわけじゃないですか。そうすると嫌なことがたくさんあっても、我慢するつらさはあんまりなくて、なんか楽に付き合えていたなと思います。

ー越さんのことを「こっしー」と呼ばれているんですね。

中村 「こっしー」です、はい(笑)。出会った頃からからこっしーです。

(中村さんの文中の越=こっしーと読みます。)

―ヤリナゲで過去に出演された作品の感想や、印象に残っていることを伺えればと思います。第1回公演の『八木さん』はいかがでしたか。

中村 ほとんど覚えていないけど、花火を見ながらデートをするというシーンがあって、衣裳は浴衣がいいという話になっていたんです。

ただ、役者が登場する際に衣裳を着て、ハケる時に「役終わり」という感じで衣裳を脱ぎながら去るという演出だったので「浴衣を一式着ていると大変だぞ」という問題が発生したんです。

それで当時衣裳担当だった子が悩んだ末、次の稽古で「つけ帯だけにする」という案を持ってきたんですけど、その時越が「俺もそれがいいと思ったんだよね!!」って言ってたのがすごい心に残ってます。

ぜんぜん私の話じゃないですね(笑)。それで私はつけ帯をして出演しました。

ー彼女役だったんですね!ちなみにどんな内容だったんですか?

中村 『八木さん』は、無骨だけどシンプルでしたね。

恋愛関係の二人が主軸だけど役が固定されていない作りで、最後に全員がごちゃって出てきて「なんなんだよこれ!」「こんなこと私言ってなかったよ」みたいな文句を言い合う、なんだかメタな終り方だったような気がします(笑)。

そういう意味では随分劇的な作品だったかもしれません。

恋愛のちょっとした切なげなやりとりや、「このタイミングで確かに人は座り直して距離を縮めるよね!」とかいう発見をワークショップ的に探ったりしつつ作っていました。

誰でもかならず既視感を覚えるような日常的な小さな要素をそのまま再現して見せるという手法は、越演劇の出発点と言えるかもしれないです。

この「(日常を)そのままやる」では立ち行かない”表現の限界”に対する挑戦というのが、ヤリナゲの『モニカ』に至るまでの変化に表れているのかな、と思います。

ーなるほど!中村さんは初めてヤリナゲに出演されてみて、いかがでしたか?

中村 私が越のお芝居に出演した中でも、あの時はほんとに楽しいだけの出演でした。

何回か出演していると段々と演出の仕方や求めるものも変わってくるし。

ただその一番最初の『八木さん』は、たぶん悪い意味でなんの無理もない、(役者としては)無理しなくて出来ることしかしなかったんです。

中村 ここ一、二年は越のやりたいことを舞台上で見えるようにするためには役者にとってのかなりの無理が必要になってくる場合があって。それを求められた時に、役者としては楽にできないからつらいんですよね。そういうのが近年は結構多かったから『八木さん』は超楽で楽しかったな、って思います(笑)。

ー役者にとっての無理、ですか。

中村 その「無理感」をすごい感じたのは、『2 0 6』(第6回公演 2015年8月12日-16日 於 王子小劇場)だったかもしれないです。

『2 0 6』はヤリナゲにとって転換期的な作品だと思っていて。もちろん毎回毎回変わるな、とは思うんですけど。

「無理しなくていい」というのと、「ここはちょっと無理してやって」っていうのを同じくらいのバランスで演出していたのが『2 0 6』かな、と思います。

ーなるほど。

中村 たぶん世莉さん(黒澤世莉氏)の影響がすごい大きくて。

世莉さんの演出方法を知って、越も「俺もそれやってみたい!」って思い始めた頃だったんじゃないかなと思います。

世莉さんがおっしゃる「あるものでやって」じゃないですけど、役者としてはあまり無理をせず自分の中にあるものでやればいいんだな、と思って演技をして、それが観る側にもうひとつ見えてこない時に「もうちょっと出して」という注文をつけるような、割とジェントルマンの演出だったんです。

「あるもの」から「見える/見えない」へ

中村 その「あるものでやる」というのは、それが客観的に「見えるか/見えないか」は求めるものとしてちょっと別なんです。

だけど、最近はその(俳優の中に)「あるもの」や「ないもの」というよりはむしろ「見えてるもの」を重視するようになったのかな。「見えてるか/見えてないか」が結局のところすごく重要というか。私はそれにすごい同意するんです。

「見えて」いたら、その中身がどうであっても、見えてるからOKじゃないですか。通じる、伝わる、「そうなんだ」と見ていて分かるのであれば、内部の事情なんてどうでもいいんだな、というか。

それはお芝居をする役者としてもそうだし、劇団の運営とかの内部事情は全然関係なく作ったものの価値がすべてだな、というところまで広い意味でいま納得していて。

「(大事なのは)結果ですよ。」と。

『モニカ』の変化

中村 それを露骨に「見える」ものが見たいというか「こう見えたい」とか、「自分が見たいもの」というのをすごい貪欲に求め始めた、あるいは求めるスタイルでやろうと彼なりにスイッチを入れたのが『モニカ』だと思うんです。

だからあれはもう役者からすればひどいもんで(笑)。台本が遅いとか、見えなかったら「こうして、こうして、こうして」ってどんどん変えていくとか。

たとえばほんとに事務的な稽古場作りとか、劇団員はそういう環境面のサポートをしなければならないけど、それさえもケアしないで越が演出に没頭するというやり方をしていたのが『モニカ』でした。

そうして突き詰めた作品だったから、内部が疲弊するという問題は生じたけれど、結果的に作品としてはすごいよかったと思うんです。

(『モニカ』舞台写真より 撮影:細谷修三)

見えるために突き詰めた

中村 やっている身としては全然分からなかったけど、後からお客さんの感想を聞いたら「いままでで一番良かった」とか、そういうお褒めの言葉を一杯頂いているのが『モニカ』で。「ああ、『見える』ために突き詰めたのだなあ、この人は」と。

ーその『モニカ』の変化について、詳しく教えて下さい。

脚本力と演出力

中村 大体の場合、彼は脚本と演出を兼ねるんですよね。

それで、自分の脚本力と演出力というのがあるとするじゃないですか。

今まで、『モニカ』以前は自分の脚本を書く力が追い付けるだけの演出しかしていなかった。逆に言えば演出したいものがあっても、その演出を脚本で追いつける範囲までしかできなかった。

その逆が『モニカ』で、あの作品ではしたい演出をするために、脚本が追い付かなければいけないということになって、だから脚本が上がってくるのが遅かったんです。

『モニカ』以前は、演出をだから手加減していたみたいなことです。

自分が演出したいもの、見たいものに対して脚本が追い付いていないという事は、脚本が追い付ける所までしか演出を求められない、というか。自分の中で勝手に自分が演出できる線引きをしてたんだと思うんです。

これは言葉にすればするほど離れていくような気がするんですけど…。

ーやはり実際に内側の劇団員と、外から見る観客とでは見ているものがまったく違うんですね。

中村 実は昨日、初めて『モニカ』の動画を見たんですよ。

わたし当時いろんな思いがあったんですけど(笑)。ヤリナゲを辞めるということを決めてから本番に入ったんです。

本番に入る前の稽古中も「ほんとに演劇が楽しくない」と思って辛さしかなくて。何でやっているのかも分からない、求められていることが出来ない、どうすればいいのかも分からない、と。自分が原因なんですけどほんとに辛くって。

もちろん辞めるに至った理由はそれだけではないんですけど。

初日の夜、本番が終わった後に「私辞めると思う」という話をしたら、越に「たしかに役者としてはもうあさきさんをヤリナゲに求めてません。」って言われて(笑)。

ーおおっ…!

中村 すごいこと言うじゃないですか。でもそれが言えるってすごいことだと思うんです。でもそういう人なんですよ。別に悪気はなく。

たしかにいま振り返ると、越が今後演出したがってるものに私は『モニカ』で役者として応えられなかったし、「ああいう風にやってほしい」「こういう風にやってほしい」というのが全然できないしやりたくもないし、段々そのズレが大きくなってきていたとは思います。

中村 越がつくる作品に対してはすごい誠実でありたかったんですけど、いかんせんそれを叶えられるスキルがなかったというか。

そうして越が今後ヤリナゲでやっていきたいことに私はたしかに役者としては必要ないんだなという事を理解して、それでも本番はあと7ステージやらなければならないっていう(笑)。

「最悪だ」って思いながら毎日毎日やってたんですけど(笑)。

中村 それで昨日初めて『モニカ』の動画を見て、初めてヤリナゲでお芝居している自分を客観的に見たときに、たしかに越寛生の『モニカの話』という作品を、役者中村あさきはすごくつぶしてしまっているというのが分かってしまって。「ああ、もう悔しい!!」って。この作品をもっといいものに出来たのかもしれないのに、私は全然応えられなかったなって思って。初めて腑に落ちて納得したんです。それで「アゴラがんばってね」って連絡しました(笑)。こう話すと壮絶な感じに聞こえますね。

ー作品を作る上で演出家と俳優としての葛藤があったんですね。

中村 たぶん何年もやっていると演出家としての手法も変わるし、越自身「俺の手法」と言えるものがまだないのでいつも揺れていて、お互いそぐっていたのが最初の『八木さん』だけだったっていうことなのかなとも思います。

彼はどんどん変わって、自分に必要な演出方法を探していて、その都度その都度役者を集めてその方法にそぐう人を見つけ出そうとしていて。

いわゆる客演の人たちは一回出て、合えばもう一回出演してもらって、という風に続いていくんでしょうけど、劇団員って選ばれるとかではなく出ることが前提になっていて。

たぶん最後の3回くらいは私出なくても良かったのかもしれない(笑)。

ーええっ。

中村 劇団員だから出る、ということだったらあんまりよくなかったんだろうな、と思います。分からないですけど。

子どもに見せちゃいけない番組みたいな

ー第2回公演『パンティー少女ミドリちゃん』(2013年3月17日 於 学芸大学メイプルハウス)は観客としてご覧になっていたそうですが、いかがでしたか。

中村 今思えばあれぐらいの方が私は好きでしたね。作品作りを一緒にやっていないので細かい演出意図や、越にとってどういう作品だったかはよくわからないです。

けど、越作品の中では随分過激な印象で、なんだろう、子供に見せちゃいけない番組みたいな(笑)。

ーどんな作品なんですか!

中村 出演者に何枚もパンツを履かせてそれを脱がせたり、カメラを勃起した性器に見立てて、性交渉をするんだけどその時にカメラに女性の陰部が写るじゃないですか。

それを舞台上の画面に投影する、なんてことをしていました。

もちろん陰部といっても、パンツや多分保険でストッキングも履いてるんだけれど、見ているこちら側がひやひやしたり、例えばカップルで見に来ていたら、とか想像するとおもしろい(笑)。

そういう万人ウケを狙わない故の、強さみたいのが好きでしたね。

ーなんだか、すごく振り切れていたんですね。

中村 そう思うと私が所属していた間の作品って、ウケるかどうかをすごい気にしているし、露骨にそれが作品に反映されている時期の作品だったと思うんです。

「これをやったら受けるか」「受けるもの作らないと観てもらえない」みたいな、そういいう時期だったと思って。

一番最初の『八木さん』とか『パンティー』とかは、そういうことを一切気にしないで、彼がやりたいことをただやっていた。だから簡単に言うとすごい尖った作品だったと思うんですよ。

でも段々と、ちゃんと作らないと人に観てもらえないし、ある程度受けて褒められないとテンションも上がらないし、結局伝わらなかったらお互いハッピーじゃないし、っていう風になっていくんですね。

美味しいうどん

中村 ヤリナゲで『15 Minutes Made Volume15』(2016年11月26日-12月4日 於 花まる学習会王子小劇場)に出演した時に越が話していたのは、自分は演出家、たとえばうどんを作る人なんだけど、どうしてもお客さんに出すときに綺麗に美味しそうに盛り付けるところまでやってしまうんだと。

中村 綺麗に盛り付けるという所までが作品に入ってしまうんだけど、自分が本来作りたいのは見た目なんてどうでもいい、ただ美味しいうどんなんだと。

おいしいうどんを作ることだけに勤しみたいのに、現状美味しそうに盛ることまで考えて俺は作品を作ってしまっている。っていう話をしていました。

だから私は「美味しいうどんを作ることだけに徹してよ」「盛り付けるところまで考えたら、美味しくなくなってしまう。盛り付けるところは私が考えるから、思う存分作ってくれよ」「そこは違う人がやらないと絶対に作品は落ちる」ということをめちゃくちゃ言いまくって、結果言い逃げしたみたいになったんですけど(笑)。

ー”盛り付け”というのはいわゆるひとつの公演としての側面ということですか?

中村 そうですね。プロモーションや制作面のことにもなるとは思います。ただそれは創作とまるきり別物というわけではないとも思うんですけど。

ーなるほど。

中村 まず脚本家と演出家でもそれぞれ違う話になってくるというか。まず脚本家として美味しいものを書くことに徹してほしいし、演出家としても美味しい上演をつくってほしい。

でも「ヤリナゲにこういうイメージを持たれたい」という事だって考えるし、単純に受けたいわけじゃないですか。その受けるためにする工夫が「盛り付け」です。難しいところだとは思うんですけどね。

ーうどんの喩えはおもしろいですね!

中村 本人が言ってたんです。私も同じようなことをずっと考えていて、時々お互いに考えていることを戦わせるというか一緒に話すんです。その時彼がした喩えがそのうどんの話で「それで言うとその盛り付けのところを考えないで!」っていうことを私が言うみたいな、ずっとそういう関係でしたね。

稽古場の役者と演出家という関係ではないところで、演出についての迷いとか、「演劇をやっていく俺の人生」についての迷いとか、そういうことを全部たぶん割と近いところで長い間分かち合ってきていて。

越のドラマトゥルクとして

中村 どれくらいの深さかは分からないし、他にもそういう人がたくさんいるのかもしれないし、私も特別なことをしてたとは思わないけど、ヤリナゲという場所で関わっている間に作品づくりのことや演出のことをすごくたくさん話してきましたね。

「今こういう風に変わってきてるんだけど、みんなにどういう風に見えてるかな、俺?」みたいなこととか、「今の俺大丈夫かな、稽古場で?」「すごいわがままに演出してるけど怖くない?」とか(笑)。そういう変な相談を受けたりもしていました。

「なかなか表現できないんだけど、こういう思いをこの作品に込めたい」とか、メッセージという言い方は絶対にしないけど、「こういうことを表現したいんだ」「これが今出来ているか分からない」とか「こういう風にしたいいんだけど、あさきさんどうすればいいと思う?」とか。

「役者としてはあさきさんを必要してない」と言われても、自分で言うのもあれですけどヤリナゲ作品の真髄みたいなものを会得していて、越のドラマトゥルクとしてはすごい必要な存在だったらしいです。はい。

「『え、なんで?』って思う俺」

ー中村さんからみた越さんはどんな人ですか?

中村 超繊細なんだけど超単細胞みたいなところがありますね。

あと無駄に倫理観が強いから。あの人一生無駄に強い倫理観に苛まれて生きていくんじゃないかと思うんです。作品も全部そうだし。

彼にとっては必要ではないんだけど、なんでだか倫理観だけがものすごい勝手に育っちゃっていて(笑)。「それどうなの?」って思う自分と、「絶対にそうだ」ってしみついてる自分といつも戦ってる感じがしますね。

『緑茶すずしい太郎の冒険』も出生前診断と中絶の話で、『フランドン農学校の豚』(番外公演 2014年10月25日-26日 於 十色庵)も宮沢賢治の作品ですけどテーマは食肉問題で。

ー『フランドン』はどんな作品だったんですか?

中村 『フランドン』の頃は社会問題を扱うというのと、それをコミカルに描き出すというスタイルにシフトしつつあった時期だったんですけど、どちらかというと社会問題を扱う意識が大きい作品だった気がします。

越が実際に本番前一ヶ月くらいの間ベジタリアンをやりながら「動物を殺して、その肉を食することはオッケーなのか、というかなぜオッケーじゃないかもしれないのか?」ということを考えてみていましたね。

その食べられてしまう豚を飼育する飼育員の恋を描きながら、その豚と介護される老人とを重ね合わせてみたりして。

私は豚とおばあちゃんの役を兼ねて、そのどちらも「飼育されている」というような描き方だったと思います。

ー豚役だったんですね!

中村 当時佐世保で女子高生が同級生を殺したというニュースがあって、その女子高生がどんな気持ちで犯行に至ったのかということも平行線上で扱っていました。

作品全体としてはその三種のテーマがうまくリンクしていたのかわからないけれど、どろどろしたさまは見応えがあったと思います。

私は佐世保ジョシ子という名前の役でした。

ー豚なのにすごいネーミングですね!

中村 佐世保ジョシ子が天井から吊られたセーラー服を脱がすように殺して、中から内蔵を取り出して食べるっていう演出があって、それがすごく好きでした。

その取り出す内臓っていうのが、実は豚を「プラチナ豚」に育てるための高級餌である葡萄なんです。ジョシ子はその内臓が、愛おしくて美しくてしかたなくて食べちゃう。「愛していたんです」って言うんですよ。

たぶんこの場面は美しくてエロティックでグロテスクで、本質的だし多くの問題を孕んでいると思います。そこは今でもお気に入りです。

(『フランドン農学校の豚』舞台写真より 撮影:上原汐璃)

繊細に感じ取って疑問を持つのは、それを既に強く信じているから

中村 ヤリナゲというか越の作品の発端は普通にある倫理観とか、いわゆるよくないとされていることに「『え、なんで?』って思う俺」が発祥というか、そこから始まってるんです。

私が思うに、「なんで?」って思ってるというのは、逆に言うとものすごいそれを信じているというか、それから逃れられない自分というのがいるわけですよね。

なにも思っていなければ何も思わないはずのところを繊細に感じ取って疑問を持つのは、それを既に強く信じているからなんだと思います。

だから一生この人逃れられないんだな、と思います。いつもそういう作品ばかり作るな、と。

こんなにまとめてヤリナゲで思っていたことを話したのは初めてです(笑)。

ー思い出深い作品としては他に何かありますか?

中村 『翳りの森』は好きだったんですけど、いかんせん越の作品ではないんですよね。(作:阿部ゆきのぶ(ゲンパビ))初めての外部脚本で。

本当に少人数で「手弁当公演」と銘打って、ほぼ劇団員だけで公演をつくる力を手に入れようというチャレンジ公演だったので。

今まで制作面とか、自分達だけで公演をできる力がなかったから、一応全般的な制作業務をやってみようではないかということで、割と初めて劇団としてまとまった公演でした。あれも楽しかったですね。

(『翳りの森』舞台写真より 撮影:田中星男)

ヤリナゲの作品は社会の中でちゃんと承認されるべき

中村 その『翳りの森』が終わった位の時に、すごくいい作品をつくっているはずなのにそれが社会的に認められていない悔しさみたいなものをどうしても何とかしたいと思って「私プロモーションやる!」って言って分からないなりに宣伝とかを頑張っていた時期がありました。

そのモチベーションも「この人はこんなにいい作品をつくっているのだから、それをちゃんと価値にしてあげたい」というものでした。

私自身のことはどうでもいいけど、ヤリナゲの作品は社会の中でちゃんと承認されるべきだなあ、と思っていました。

(間。)

中村 私がヤリナゲを辞めた理由は、ヤリナゲに対してマイナスな気持ちがあったわけではなくて、単純に自分のライフプランの転換みたいに考えてるんです。でも確かに私が演劇に関わってきたというとき、それはほぼヤリナゲのことで。

その間はずっと、五分五分くらいでいやなことといいことがある、楽しい反面つらい、みたいな感じだったんです。

中村 だから越の作品に出るということ、ヤリナゲで役者をやるということが、すごく難しいことだらけだし、期待に答えなきゃいけないとも思っていたし、自分にとって割とストレスフルだったと思うんですね、今思うと。

そのストレスフルだというのは悪い意味ではなく、とても刺激があるということなんですけど。

どんなに「こいつムカつく」とか「役者なんて辛いしやだ」とか「稽古場へ行くのめんどい」とかいう諸々の不安とか疲労とかがあっても、たぶん私は越に対する興味が絶えなくて。これはこれまでいろんなインタビューでも必ずそう言ってきたことなんですけど。

「越に対する興味が絶えない」

中村 越の考えることとかやりたいこととか、どのように演出するかとか、作品を書くときに何を思うのかとか。そして次この人は何を思うんだろう、って思うんです。

作品を書き始めたときにはこう思ってたけど今はこう思っている、という変化のダイナミズムというか。そこから抜け出せなかったです。

中村 辞められなかったのもまたそのせいかなと思います。たぶん私いつでも演劇辞めてよかったはずなんですよ。いまたまたまいろんなタイミングが重なってこういう形になったけど、演劇をやりたい度合いでいうといつでも演劇界からいなくなれた程度のやる気だったと思います。

それが誰かに「出演して」って言われたり「必要だ」と思われたりすることによってずっとつながれていたんですけど。その事実とは別のところで、ずっと自分の中で繋がっていたのは、越への興味だったなと思います。

ーなるほど。

中村 越ってすごいおもしろい人じゃないですか。

話していて「その話なんで今出てきたの?」みたいなことを唐突に言い出したりもするんですけど、それが越の中では五個先の話題で繋がっていたりとか。

でも劇を作るとか、そういう活動を通してしか付き合えなかっただろうな、と思います。

個人的な友達同士ではありえなかったと思いますけど(笑)。

―退団された今、これからの(劇)ヤリナゲに期待されることはありますか?

中村 (長い間。)越個人に対しては「やりたいことをやれよ」じゃないけど、彼が持つ独自の繊細さというかセンス、それだけを大事にしたらいいと思います。

ただヤリナゲに関しては、たぶんそれをそのままやったら絶対売れないし、ハッピーにならない人がたくさんいると思っていて。だからちゃんとその「価値」を作っていけよ、という風には思います。

うまいこと、生き残って

中村 越はそのままだったら絶対に消えていく、消されていくものかもしれないけど、ヤリナゲとしてそれをやる場が与えられている訳だから。

だからヤリナゲとしては「うまいことやる」というのも大事になっていくんだろうと思います。

中村 こまばアゴラ劇場に進出するというのも、あるいは今回の宣伝美術に瓜生太郎さんを起用したというのもそうした頑張りだと思うんです。

逆にうまいことやったらなんでも価値になりうる世の中ですし(笑)。その術を身につけつつ生き残っていってほしいな、と思います。

ただそれを先のうどんのたとえで言うと、「美味しくつくる」というのと「美味しく盛り付ける」というのは同じ人がやってはいけないし、一緒にしてはいけないのかな、と思います。難しいですね(笑)。

―ありがとうございます。さて、ここでおもむろにまだ見ぬ『預言者Q太郎の一生』がどんな作品になるのかを預言して頂くとすれば、どんなお話になると思われますか。

中村 まずタイトルがダサいですよね、ほんとに、毎度思うけど。なんだろう、なんかそういうの好きなのかな、『緑茶すずしい太郎の冒険』とか(笑)。

どんな話か分からないけど、Q太郎が全編出て来るくせに、最後はこの人ほんとはいなかった、みたいな話になる気がします(笑)。SFじゃないけど。

「全然浮かばないんだけどどうしよう」っていう連絡が時々入っていたので、相変わらず脚本で苦しんでいるんじゃないかなと思います(笑)。

「切実なもの」

―(劇)ヤリナゲを知らない、観たことがない人へ一言でおすすめするとすれば、どう紹介されますか?

中村 全然関係ない話なんですけど、越って「あさきさんってしゃべんないとかわいい」って言うんですよ。そういうことを言う人たちだな。

すごい誠実だし、まっすぐだし、だけどモラルに欠ける、というか。

でも倫理観は人並み以上にあって、己の倫理観をめぐってすごく葛藤している(笑)。

…でもこれヤリナゲの説明になっていないな(笑)。

観たことない人にどうすすめるんでしょうね…。作品もどんどん変わっているから次に何しでかすか分かんないんですよね。

でも、これは半分期待なんですけど、「切実なもの」だと思います。

ーありがとうございました!

(2017/6/5 聞き手:松本一歩)

中村あさきさん情報

映像か写真か、モデルビジュアルのお仕事募集しています。

Facebook:Asaki Nakamura

Mail:polvoro.polvoro@gmail.com

(劇)ヤリナゲ第10回公演

『預言者Q太郎の一生』

2017年7月14日(金)〜23日(日)

こまばアゴラ劇場

詳細はこちらから。


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